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「近代国家」は高級か?

2014年10月1日 10:21 / カテゴリ:[ メモ ]


Amazonの『日本人が知らない軍事学の常識』と言う本のレビューの中に、以下の様な記述がありました。

「ヨーロッパ的価値を共有する国を「近代国家」と称しいかもの高級なもののように印象操作しています」

このレビューを書いた方の主張には首肯するべきところも多々ありますが、この点に関しては的はずれなように思います。というのも、著者の「近代国家」という名称の使い方は決して奇妙ではないからです。

そもそも「近代」とはヨーロッパで生まれた価値観と表裏一体の概念であり、単なる時代区分ではないのです。したがって、ヨーロッパ的国家以外に「近代国家」が存在しないのは定義上当然なのです。

その上で「近代国家」に「高級なもの」であるかのような印象を受けるのであれば、そちらの方が誤った認識だと言えます。このレビュワーの主張はヨーロッパ的価値観を相対化する文脈で用いられているのですから、ヨーロッパ的価値観そのものである「近代国家」と言う言葉に高級感を感じるのは矛盾なのですね。

もっともこれは日本人が「近代国家」に価値があると洗脳され、そのまま受容してきたことの証左です。自覚的にヨーロッパを相対化できるレビュワーのような方ですら、油断すると陥穽に陥ってしまうあたりに、この洗脳の強固さを感じます。

【気になる本】赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』

2014年9月26日 11:43 / カテゴリ:[ ]


最近気になっている本として、知人に紹介された次の作品がある。

・赤江達也『「紙上の教会」と日本近代――無教会キリスト教の歴史社会学』、岩波書店、2013年

私が歴史社会学という分野の存在を知ったのは、大学を卒業した後になってからだ。この学問分野の著作がめちゃくちゃ面白く、「こんな面白いものを知らずに大学時代を過ごしていたなんて!」とショックを受けた。あの金がなくても時間が有り余っていた当時ならば、大学図書館に通い詰めて関連する本を読み漁れただろうに。

大学から離れて蔵書数が少ない図書館しか近所に存在しない田舎都市に住んでいる人間としては、大学時代の恵まれた環境を懐かしく思う。

マジで仕事も何もせず図書館の本を読み漁るだけの生活を4年間続けてみたいわ。失ってから初めて分かる価値だね。宝くじが当たったら間違いなくそういう暮らしをするわ。無駄な散財をすることなく、ひっそりと家賃と食費等の生活費を支払い、あとはひたすらに図書館の本を読みあさる日々。夢の様な生活だな。

それはともかく、本書は「無教会主義」について歴史社会学の手法で分析したもので、本書を紹介してくれた知人の話によれば、この分野に興味がある人なら一読の価値があるとのこと。

最近社会学やキリスト教にも興味が出てきているだけに、読みたくて仕方がない。しかしこういう本は高いのだ。欲しい本を片っ端から買っていたら、生活費を圧迫してしまう。どうしようかな……。

フロイト理論を事実の説明に使われても困る

2014年9月25日 10:14 / カテゴリ:[ メモ ]


先日、『齋藤孝のざっくり!日本史』の議論に関する不満を記事にして投稿しましたが、その他にも結構気になることがあります。今回の記事もそういう疑問点の続きです。

というか、前回は議論に対する疑問だったので、不満と言いつつも読む気が失せるほどのものではありませんでした。しかし、読んでいくうちにイライラしてくる記述も増えてきました。それは疑似科学的なことを事実であるかのように記述しているところです。

齋藤孝はやたらとフロイトの理論を根拠付けに持ち出しています。さらにフロイト理論が日本で受け入れられない理由を、父親が子供から母親を独占せずエディプス・コンプレックスが生じないという日本の家族の特徴に求めています。

しかしそもそもフロイト理論は疑似科学であり、現在の科学的な水準からは否定されているものでしょう。理性に対する無意識の存在を示したという歴史的な意義は極めて高いですが、それはあくまでも思想的な価値であり、科学的な理論ではないのです。

したがって、日本でフロイト理論が受け入れられないのは、そもそも科学的な主張じゃないから思想的文脈以外で使うべきじゃないからです。そしてこれは日本以外でも変わらない事情でしょう。

ですからむしろ、臆面もなくフロイト理論を根拠に採用する方がおかしいはずです。歴史事象の説明にリビドーを持ち出すのは、まともな説明を放棄したに等しいのです。齋藤孝にはこのような自覚が欠けているように思います。

こういう説明を見るに、齋藤孝には科学的な知識が欠けているとしか思えません。歴史事象に対する説明も、どうも印象だけで語っているように思えてなりません。本のコンセプトは面白いだけに残念です。

【読書感想】『齋藤孝のざっくり!日本史』の議論に不満

2014年9月24日 11:16 / カテゴリ:[ ]


齋藤孝の本を読んでいると、この人が印象論だけで語っている部分が大きいことに気づきます。たとえば、『齋藤孝のざっくり!日本史』を見てみましょう。彼によれば日本人はシステムが大好きなのだそうです。その根拠として、サッカーファンがシステムの話題を好んで行うことや、アニメのファンが細かな世界設定を好んでいることなどを挙げています。

しかしこうしたことは何の根拠にもなりません。

第一に、それを日本人の特性だというのであれば、他国のファンはそうじゃないことを示す必要があります。もしかしたら日本人の特性ではなく国民を問わず「サッカーファン」「アニメファン」の特性なのかもしれないからです。示された証拠と主張の間の関連性が怪しいということです。

第二に、本当にファンがシステムの話を好んでしているのかという疑問があります。むしろスポーツでも個人レベルでの評価が大きく、戦術について評価しているファンは少数派ではないかと思われるのです。アニメファンにしても、キャラ萌えの方が勢力が大きいように思われます。

第三に、日本人がシステム好きだという主張に対する反例が簡単に示せるように思われます。職人芸などを見れば、むしろ賞賛されているのは細部に対するこだわりであって、全体を見据えているとは到底思えません。それに日本人は外側だけ取り入れるものの、本質を見落としているためにシステムを活かせないということが多々あります。システムというのは全体との関連によって初めて有意味となるのであり、「ガワ」しか取り入れないというのは結局のところシステムの意味をわかっていないのと同じです。

このように「日本人がシステム好き」などという主張は説得力に乏しいです。こうした主張によって歴史を牽強付会的に説明するのは、「ざっくりした説明」以前の話です。デタラメの可能性が高いわけですから。せめて説明にはもう少し説得力がほしいところです。

香川真司やブンデスリーガについて思うこと

2014年9月21日 06:05 / カテゴリ:[ スポーツ ]


香川真司がプレミアリーグで通用しなかったという言い方をするアンチが結構いますね。ブンデスリーガで再び躍動しているのを見て、ブンデスリーガのレベルがプレミアより低いなどと吹聴している人すらいます。

しかしプレミア1年目で本来のポジションでなくても及第点の成績を残しているわけですし、後半戦トップ下のポジションで出場していた時には良いパフォーマンスを見せていました。2年目のモイーズ体制でもこれは変わらず、トップ下ならばサイドとは比べ物にならないほど効果的でした。それを考えると本来のポジションで使用されなかったことが数字のでない理由だったのでしょう。

また、チームが香川真司のスタイルとまったく逆の志向を持っていたことも問題だったのでしょう。周知の通りファーガソン監督は従来のマンチェスターユナイテッドの戦い方、ひいてはプレミア全体にも通じるサッカーを変えるために香川を獲得しました。明らかにドルトムントのような全体が連動して相手を崩すサッカーに変更しようとしていたわけです。

言ってしまえば、ファーガソン監督は戦術的な面でプレミアが他の欧州リーグのトップチームより遅れていることをはっきりと認識していたわけです。もちろんトップチームにおける戦術面の優位性だけでブンデスリーガとプレミアリーグ全体を比較するべきではないですが、ここは一つ事実としてあるわけです。

そして現在行われているチャンピオンズリーグの成績を見れば、プレミア勢が明らかに押されています。個々の選手のネームバリューを見れば、個人の力はプレミア勢の方が上かもしれないにも関わらずです。

こうした要素を考慮すると、プレミアリーグがブンデスリーガよりも上であると安易に主張することはできません。

香川真司はチーム全体が連動する現代サッカー戦術の中で生きる選手です。マンチェスターユナイテッドに代表されるプレミアリーグのチームの戦術では、その良さがまったく活かせません。このあたりは移籍前から言われていた通りです。

あくまでも戦術と選手の相性の問題であって、選手の実力不足などと言えるものではないです。当然、香川真司のことをもってプレミアリーグがブンデスリーガより上などと言うこともできません。

そして香川真司の選択も、オファーを受けた時点では自分を活かす戦術にシフトする構想を聞かされていたわけですし、ファン・ペルシー移籍で状況が変わった時点ではどうしようもなかったわけですから、選択ミスだと責めるわけにもいかないのです。

一部のサッカーファンは、あらゆる戦術に妥当する絶対的な「選手の能力値」のようなものを想定しているように思います。最強の選手を集めれば自動的に最強チームができるという発想です。しかしそんな共通通貨みたいな基準は存在しませんし、個人能力に優れた選手を集めたからといって強いチームになるわけでもありません。

こういった当たり前のことを見落として個々の選手やリーグ全体を非難するのは、まったくもって馬鹿げていると私は思います。

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